【読解力を作り出す】3)「読解力をつけるために読書をする」は、絶対にしてはいけない!

1)読む量に勝る対策なし
高いレベルの大学に合格をした人の中には、よくこのようなことを言う子がいます。

現代文なんて、ほとんど勉強しなかったけど、共通テストはほとんど満点だったなー。
国語なんて、古文と漢文だけさらってやっておけばいいんだよ。
実際、共通テストで200点近く取っていて、現代文パートはほぼ満点という子が、塾では国語の現代文など一切受講していなくて、自分で問題集と過去問をそこそこ取り組んでおけば十分という子は、それなりにいます。
そのような子に共通するのが、結局は「幼少期から読書が好きだった」ということです。それも、何かの分野に偏った、あるいは体系立てた形の読書をしている人ではなくて、「乱読、多読」という傾向が圧倒的に強いです。
つまり、ナチュラルに、読むことが好きで、そこからたくさんの文章経験を得ているので、大学受験くらいの文章ならば、大体「読んで何を言っているかわからないことはない」し、多くの文章において「何か近寄ったケースを読んだことがある」という状態を作れています。
そう、詰まるところ、読解力は「圧倒的に本を読んでいれば」ほぼほぼ自然に培われます。問題への対応力など、圧倒的な読解のレベルに比べれば、小手先のちょいちょいでしかありません。
それを言ってはおしまいですよ、という内容ですが、この結論を覆すことは絶対にできないと思います。
しかし、その前提の上で、僕はこう思うのです。
2)「読解力をつけさせる」ために「読書」をさせるのは、絶対にやめてほしい
私たちが中学受験などの指導をしていく上で、多くのご家庭から「本を読まないから、本を読むようにさせたい」という相談を受けます。
確かに大事です。ぜひ、その子が読みたくなるような本を一緒に探したり、何かの本を手にしてみたくなったりするような経験を、一緒に探ってみてほしいです。時間をかけて、ゆっくりと、じっくりと。
しかし、だからと言って、今、本を読みたいと思っていない子供に「読解力が不足しているから」「読解力をつけさせるために」「無理矢理」「いやいや」本を読ませることは、絶対に避けてほしいのです。
なぜか。
それは、「読書という営みの大事さは、受験のために読解力をつけるという短期的な営みよりも、はるかに大きく、はるかに大事だ」と思うからです。
なぜそう言えるのか。まずは先人たちの言葉を見てみましょう。
ソクラテス(Socrates)
「知識を得る唯一の方法は、本を読むことだ。」
(明確な出典は不明ですが、彼に帰される言葉として知られています)
意味:読書が知恵や理解を広げるための鍵であると強調しています。
シェイクスピア(William Shakespeare)
「本は世界の栄養だ。」
(『タイタス・アンドロニカス』より意訳)
意味:読書が心と魂を豊かにするものだと比喩的に表現しています。
夏目漱石(Natsume Soseki)
「読書は人間を磨く。磨かぬ鏡は曇る。」
(明確な出典はありませんが、彼の思想に沿った言葉として引用されます)
意味:読書をしないと人の精神が曇ってしまうように、読書は自分を高めるために必要だと述べています。マルセル・プルースト(Marcel Proust)
「読書は、想像力の翼に乗って新しい世界への旅に出ることだ。」
意味:本を開くたびに、まるで冒険に出かけるような楽しさが得られると伝えています。
読書という営みは、人類が得た、最良の学習方法であり、最良の教養の取得方法であり、そして、最良の自分を高めるツールです。そして、何より、人生に対して、無限の最良の楽しみを与えてくれるものです。
その読書を、たかだか受験のために、たかだか読解力のために、子供に無理矢理やらせることで、「嫌い」にさせてしまっては、人生に対して、最も大きな「損害」を与えてしまうことになると言っても過言ではないと思います。
読書が嫌いな人生は、何よりももったいない。僕はそう思っています。
だから、「受験勉強のために、嫌がる子供に、本を読ませる」というのは絶対にすべきことではないと思います。
故に、逆説的になりますが、これから論じることは、「読書という営みに依拠せずに読解力を上げていく」ということがテーマになります。
このパートの最後に、僕にとって、読むということについて、最も印象深い記憶を記載しておきたいと思います。
吉田松陰が、1854年(嘉永7年)、ペリーの黒船に乗り込んでアメリカへの密航を試みた「下田渡海事件」で失敗し、幕府に捕らえられました。その後、江戸の伝馬町獄に投獄された後、長州藩に送り返され、萩の野山獄に幽囚されました。この幽囚期間は約1年2か月(1854年11月から1856年1月まで)に及び、彼にとって過酷な状況でしたが、その獄中での出来事です。
野山獄は、萩にある小さな牢獄で、松陰はそこで他の囚人たちと共に過ごしました。しかし、彼はただ囚われの身として時間を過ごすのではなく、学問への情熱を失わず、積極的に行動しました。その一つが、獄中で囚人たちに「孟子」を教えたことです。
松陰は獄中で約600冊以上の書物を読んだと言われています。その中でも特に「孟子」に心を奪われていました。「孟子」は儒教の重要な経典で、民本思想(民を国家の中心に置く考え)や性善説を説いたもの。松陰はこの思想に共鳴し、囚人たちにもその価値を伝えたいと考えました。
松陰は、同じ牢にいる囚人たち(約11人と言われる)に「孟子」や「論語」を講義しました。囚人の中には読み書きができない者もいましたが、松陰は分け隔てなく教えました。講義は一方的なものではなく、互いに議論を交わす形式だったようです。この過程で、松陰は囚人たちの得意分野(例えば俳諧や書道)を逆に学び、互いに教え合う関係を築きました。
松陰の講義は囚人たちに希望を与えました。当初は絶望していた者たちが、彼の熱意と誠実さに打たれ、心を改めたと言われます。ある囚人は「生きる意味を見出した」と感じたとも伝えられています。
書を読むこと、そこから知識や見識や経験を得ることは、たとえ獄中にあろうとも、人生を豊かにできることです。いわんや、市井に生きる我々をや、です。