【読解力を作り出す】1)読解力が子どもの学習において「1番」重要な理由

1)コミュニケーション力の源泉は読解力
現代の社会において、学生であろうが、社会人であろうが、友人関係であろうが、コミュニケーション力が重要なことは言うまでもないことでしょう。
しかし、この、コミュニケーション力の源泉となるのは何かと言われれば、意外と画一的な答えは難しいところではないかと思います。
その中において、「読解力」が円滑なコミュニケーションに対して、最も重要な根源的な「力」であるだろうと考えております。
まず、面白い、と言ってはいけない事例をいくつかみてみましょう。
★「zoomで会議をしよう」と言われて、すぐにできた人とそうでない人 ★
コロナ禍を通じて、コミュニケーションの新しいスタイルとして、オンライン通話やオンライン会議はすでに定着化をしております。しかし、その初期段階においては、zoomやオンライン会議について「すぐに取り組める人」と「なかなか取りかかれない人」に大きく分かれました。
その理由は簡単です。
会社はバックオフィスでは、多くの場面で、オンライン会議などについての詳細なマニュアルを用意し、文章化、資料化しています。
A君は、オンライン会議の設定から進め方を、そのマニュアルを読むことで自分で準備ができ、どんどんと進めていけましたが、B君は、マニュアルをしっかり読まずに進めていき、トラブルが起きても、「うまくいかない」と言い続けるだけで、該当トラブルの箇所についてのマニュアルを確認して、自分で解決していくことができませんでした。
結果的に、B君は新しい働き方に馴染めないまま、作業効率を落とし、多くの社員のサポートが必要な状態にしばらく陥ってしまいました。
会社としての評価が、どちらが高いかは言うまでもありません。
このケースで、A君とB君の違いが、「文章を読んで、自分で問題解決をするソースを抽出する力」と言うことになるでしょう。
実はこのマニュアルの読解は、たとえば、東京都の都立中学受験の際の適性検査の問題への対応と極めて似ております。
問題の例と、実際のマニュアルを比べてみましょう。
こちらが、ある年度の都立中学の適性検査Ⅱの問題です。
そして、こちらが、「ハウリングした際の対処の仕方」のマニュアルの事例です。
都立中学の適性検査の問題を読み解ける人が、ハウリングの対処マニュアルで困ることは考えにくそうですよね?
そういうトレーニングを積んで大人になるかならないかは、コミュニケーションにおいて、大きな違いが出てきます。
もう少しシンプルな事例を見てみましょう。
★読解力の不足によって起こったミスコミュニケーション★
A君は木曜日の朝に、会社で上司であるBさんからのチャットを受信しました。
「来週のC社へのプレゼンテーションに向けて、チーム全体でのディスカッションを行います。月曜日の夜に全体でのディスカッションをするので、それまでに各々が自分の意見をまとめるようにしよう。いうまでもなく、このコンペは、今期の私たちの部門において、最大の分岐点です。全力をかけて取り組んでいきましょう。
そこで、添付する資料について、明日までに確認をしておいてください」
これを受け取ったA君は、この「確認」を「軽くみておけば良い」と認識してしまい、10ページにわたる上司が作った資料を、さらっと目を通すだけに通しておいたのですが、月曜日に全体のディスカッションで、この資料に基づいた質疑が続き、A君は全くついていくことができず、上司から「やる気がないの?」と強く叱責をされました。
上記の文章から、「確認」を「軽くみておけばいい」と捉えるのは、明らかにコミュニケーション上の問題があると思います。上司はこの案件は「最大の分岐点だ」といっているのです。たとえ、「熟読しておけ」などの言葉がなくとも、「重要な件だ」という理解はすべきでしょう。
これが、読解問題ならばこうなります。
問 Bさんがこのチャットで言いたいことはなんですか?
A:来週のディスカッションに向けて、新しい資料を作っておいて欲しい
B:この案件は重要だから、資料はしっかり読み込んでおいてほしい
C:ディスカッションを円滑に進めるために、軽く資料に目を通しておいてほしい
D:添付する資料を確認して、間違いを直しておいてほしい
これならば、小学生でも解ける簡単な選択肢問題になるのではないでしょうか。
2)A Iのアウトプットをしっかり理解できるか
これからはAIと共生していく時代です。AIがアウトプットしてくる情報は多岐に渡りますが、一番身近なものは、テキスト情報です。これを、しっかり読み取ることができるか、誤読してしまう、あるいはそもそもしっかり読めないかは、大きな、大きな「能力の差」になっていくでしょう。
少し、具体的なAIとのやりとりを見てみましょう。
XのGrokと、里山の様子と、最近のクマの出没についての関係性について理解を深めるためのやりとりをしてみました。

「日本の里山の現状についてレポートして」

「日本の里山は、人々が長い年月にわたり自然と共生しながら形成してきた風景で、農地、雑木林、ため池、草原などが混在する地域を指します。かつては地域住民による農業や林業、燃料のための薪採取など、適度な人間の手入れによって豊かな生態系が保たれてきました。しかし、現在の里山はさまざまな課題に直面しており、その現状は大きく変化しています。
まず、人口減少と高齢化が進行する中で、里山を維持管理する人手が不足しています。農村部では若者が都市部に移住し、残された高齢者だけでは伝統的な土地利用を続けるのが難しくなっています。その結果、耕作放棄地や手つかずの森林が増加し、かつて多様な動植物を育んできた環境が単調化しつつあります。例えば、定期的に草刈りや伐採が行われなくなった場所では、シダやツル植物が繁茂し、歩きにくくなったり、野生動物の生息域が広がったりしています。
次に、生活様式の変化も里山に影響を与えています。戦後、化石燃料の普及により薪や炭の需要が激減し、雑木林の手入れが放置されるようになりました。これにより、里山特有の明るい林床が失われ、暗い森が増える「森林飽和」と呼ばれる状態が進んでいます。この変化は、草原や低木地を好むチョウや小鳥などの生物にとって不利で、近年、これらの種が急速に減少していることが報告されています。
また、気候変動も里山の生態系に影を落としています。温暖化による気温上昇や降雨パターンの変化は、動植物の生育時期や分布に影響を及ぼし、特に季節に敏感な種が適応しきれずに数を減らすケースが目立っています。例えば、里山に生息するチョウや鳥類の減少が、長期的な調査で明らかになっています。
一方で、里山の価値が見直されつつある動きもあります。生物多様性の保全や地域資源の活用を目指し、市民団体や企業が保全活動に取り組んだり、里山を観光や教育の場として活用する試みが増えています。しかし、これらの活動が全国に広がるにはまだ時間がかかり、多くの地域では依然として放置が進む現状です。
要するに、日本の里山はかつての活気を失いつつあり、人間の手入れが減ったことで自然環境が変容しています。それでも、その多面的な役割—食料供給、水源涵養、文化的価値—を再評価する動きもあり、今後の管理方法や地域社会の関わり方次第で、里山の未来は変わりうるでしょう。」

「里山において、薪や炭の需要が減少した影響を、もう少し詳しく教えて」

「里山における薪や炭の需要減少は、日本のエネルギー利用や生活様式の変化に深く根ざしたもので、その影響は生態系から地域社会まで多岐にわたります。戦後、特に1950年代から1960年代にかけて、石油や電気といった化石燃料が普及し始めると、家庭での暖房、調理、農作業に使われていた薪や炭の需要が急速に落ち込みました。この変化が里山に与えた影響を詳しく見てみましょう。
まず、薪や炭の生産が減少したことで、里山の雑木林に対する人間の介入が大幅に減りました。かつては、地域住民が定期的に木を伐採し、枝を払い、林床を明るく保つことで、コナラやクヌギなどの落葉広葉樹が育つ環境が維持されていました。この手入れは「萌芽更新」と呼ばれる自然のサイクルを促し、伐採後も木が新芽を出して再生する仕組みを支えていました。しかし、需要がなくなると、こうした管理作業がほとんど行われなくなり、雑木林は放置されるようになりました。
その結果、林内が暗くなる「森林飽和」が進みました。伐採が止まると、木々が密集して成長し、陽光が林床に届かなくなるため、下草や低木が育ちにくい環境に変わります。里山特有の明るい雑木林は、草原や低木を好む生き物—たとえば、オオルリやキビタキといった鳥類、ミドリシジミのようなチョウ類—にとって重要な生息地でしたが、こうした種が減少する一因となりました。また、放置された林では、ツル植物や外来種が繁茂しやすくなり、在来の植生が抑えられるケースも増えています。
さらに、野生動物への影響も顕著です。明るい雑木林が減り、暗い森林が増えたことで、イノシシやシカなどの大型哺乳類が住みやすい環境が広がりました。これらの動物は農地に下りて作物を荒らすことが多く、農家にとって新たな問題となっています。特にシカは過剰に増え、若木や下草を食べ尽くすことで森林の再生を阻害し、里山の植生をさらに変える要因となっています。
社会的な影響もあります。薪や炭の採取は、地域住民にとって副収入や自給自足の一部であり、里山との結びつきを強める役割を果たしていました。しかし、その需要がなくなると、里山は単なる「放置される土地」となり、人々との関係性が薄れました。これが、農村部の過疎化や高齢化と相まって、里山管理の担い手不足を加速させたのです。
ただし、近年では薪の需要がわずかに復活する動きもあります。薪ストーブの人気や、環境意識の高まりからバイオマスエネルギーとしての利用が見直され、一部の地域では再び雑木林の手入れが始まっています。しかし、全国規模で見るとその動きはまだ小さく、里山全体の状況を大きく変えるには至っていません。
結論として、薪や炭の需要減少は、里山の生態系を単調化させ、生物多様性を損なうとともに、地域社会と自然の結びつきを弱める結果を招きました。この影響は今も続いており、里山の将来を考える上で重要な課題となっています。」

「近年、クマの人里への出没が多くなっていますが、このことと、里山の減少に関連はある?」

「近年、クマが人里に出没するケースが増えている背景には、里山の状況が大きく関わっていると言えます。ただし、「里山の減少」という表現よりも、里山の管理が減少し、放置されるようになったことが影響していると考えるのが適切です。
かつて里山は、薪や炭の採取、農業のために定期的に手入れされていました。この管理により、明るい雑木林や見通しの良い環境が保たれ、クマのような大型野生動物が近づきにくい「緩衝地帯」として機能していました。しかし、戦後のエネルギー革命で薪や炭の需要が減り、過疎化や高齢化で里山を管理する人が減った結果、多くの里山が放置され、樹木が生い茂る暗い森林へと変わりました。この変化は、クマにとって隠れやすく移動しやすい環境を提供し、人里との境界を曖昧にしています。
さらに、放置された里山ではコナラやクヌギなどのドングリを実らせる木が増え、クマの餌資源が豊富になる傾向があります。管理されていた時代は伐採でドングリの量が抑えられていましたが、今では自然に増えたドングリがクマを引き寄せ、里山を介して人里近くまで来るきっかけになっています。特に、奥山(クマの本来の生息地)でブナやミズナラの木の実が不作の年は、餌を求めて里山や人里に下りてくるクマが増え、出没件数が急増することが知られています。
加えて、耕作放棄地や放置された果樹園も問題を複雑にしています。過疎化した地域では、カキやクリなどの果樹が収穫されずに残り、クマにとって魅力的な餌場となるのです。一度人里で簡単に餌を得られるとわかると、クマは繰り返し現れるようになり、人との接触リスクが高まります。
つまり、里山そのものが「減少」したというより、管理されなくなった里山がクマの生息域と人里をつなぐ橋渡し役になってしまったことが、出没増加の一因です。里山の荒廃が進む一方で、クマの生息数は地域によっては増加傾向にあり、この二重の要因が現在の状況を加速させています。里山を再び緩衝地帯として機能させるには、適切な森林管理や地域住民の関与が欠かせないでしょう。」
ここまでやり取りをすれば、里山の減少の背景、薪や炭の利用減による手入れ機会の減少、そしてそれらの荒廃により、緩衝地帯としての里山の機能が失われたことが、近年のクマの出没の増加の原因となっていることが詳しく理解できます。
大事なことは、これを、人間側が、「きちんと」読解できるか、ということです。
すでに、AIは非常に簡潔で、適切な文章でアウトプットをしてくれます。しかし、それを、きちんと読み取ることができる人と、できない人では、甚大な差が生まれてくるのは、容易に想像がつくところです。
3)大事なことは
ここで挙げたような、簡単な事案が、もしも「読解力の不足」で読み取りを間違ったり、できなかった場合、人と人のコミュニケーションに対して、大きな影響があるのは間違いないでしょう。
その人が、どんなに「仕事に一生懸命」であっても、マニュアルを読み取ればいいものを、読み取ることができなければ、それは、コミュニケーションの前提が崩れてしまいます。当然に感じてほしいニュアンスを、行間を読み取れなければ、上司は、相手の資質を疑うことになります。
多くの場合、コミュニケーションの入り口にあるのは、テキスト情報の読み取り、読解力になっています。(もちろんそれだけ、ではないです)